鶴ヶ城と戊辰戦争

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鶴ヶ城と戊辰戦争

福島県にある鶴ヶ城は会津若松市のシンボルとして親しまれている。

鶴ヶ城の歴史

鶴ヶ城の前身は至徳元年(1834年)、会津領主の葦名直盛が東黒川館を築いたことがそのはじまりとされている。しかし鶴ヶ城と比べれば東黒川館は非常にこぢんまりとしたものであったといわれており、大きさにしてみれば天守閣ほどの大きさしかないものであった。

その後蒲生氏郷が豊臣秀吉の命令で会津地方を治めるようになると東黒川館を改修し、本格的な七層の構造の天守閣を築城しこの時に名称を「鶴ヶ城」と改めている。これが現在の城郭の原型であり、この時に積まれた石垣は400年以上経った今でも朽ちることなく当時の面影を今に伝えている。しかし慶長16年(1611年)に会津地方を襲った大地震によって石垣や天守閣はほぼ壊れてしまい、その時に天守閣を改修し現在の姿とほぼ同じである鶴ヶ城が完成したのである。

そして鶴ヶ城を語る上で欠かせない歴史的な出来事といえば慶応4年(1868年)に勃発した戊辰戦争である。この際に城下では激しい攻防戦が続けられ新政府軍の猛攻の前に約1ヶ月に及ぶ篭城戦を耐え抜いた鶴ヶ城は、奥州一の名城としてその名前を一躍有名にしたのである。

戊辰戦争によって明治維新がスタートし、近代的な国家の建設が進んだことで知られている。しかしながら明治時代の幕開けと共に新しい時代がスタートすると明治政府軍陸軍省の命により、明治7年に鶴ヶ城は取り壊されてしまった。

しかし戦後会津市民の強い要望を受け、たくさんの寄付に支えられて昭和40年に再建され天守閣の内部は郷土博物館となっており会津の歴史や鶴ヶ城の資料が多数展示されている。

鶴ヶ城の見どころ

鶴ヶ城の見どころ
1層から4層には多数の国指定重要文化財、県指定文化財、市指定文化財など会津を代表する文化財が多数展示されておりとても見応えがある。

鶴ヶ城は明治時代まで残されていたお城であることから保存状態がよく、資料も多数残されていたことが鶴ヶ城に復元にあたって非常に有効的であったといわれている。また 平成23年には赤瓦へのふき替えが完了しており鶴ヶ城は一層幕末の頃の姿を再現しており、現存する天守閣の中においては国内唯一の赤瓦の天守閣として注目されている。

鶴ヶ城の天守閣からは会津若松の城下町や磐梯山の美しい景色

天守閣からは会津若松の城下町や磐梯山の美しい景色を望むことができ、自然豊かな環境の中に鶴ヶ城があることを感じることができる。また鶴ヶ城は観光地として名高い会津若松のエリアに位置しており、周辺には非常に見どころが多数あることもその魅力の一つである。

鶴ヶ城の地図

鶴ヶ城の施設情報
営業時間:8:30~16:30(閉館17:00) 休業日:なし 料金:天守閣=410円、小・中学生150円 近くの人気スポットや宿: 「じゃらん」鶴ヶ城特集ページ
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